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07/29-31DQ長崎・島原墓参りツアー

【by kaji 】【◆by ばんます】
2012年7月29日(日)~31日(火)長崎県南島原市にディキシー・クイーンズのメンバーで、伊崎修さんの墓参りツアーに行きました。

続き

参加メンバー:
小澤正仁、毛利誠二、秋山学、阿部哲也、綿貫邦彦、加治雅也
行程:
2012年7月29日(日)
羽田空港集合
羽田発08:30発(ANA 661)→長崎空港着10:25着
バジェットレンタカーにて南島原市西有家町へ
途中、小浜温泉で昼食、雲仙を観光
伊崎さんのお兄さん宅を訪問、お墓参り
島原温泉九十九ホテル泊
2012年7月30日(月)
島原市内観光、諫早湾潮受け堤防を通って諫早市内で昼食
長崎市内観光(平和公園、長崎原爆資料館、等)
長崎市内で夕食後、稲佐山で夜景鑑賞
アパホテル長崎駅南泊
2012年7月31日(火)
長崎市内観光(日本二十六聖人殉教地、グラバー園)
出島ワーフで昼食後、出島観光
長崎自動車道で長崎空港へ
長崎空港発18:45発(ANA 670)→羽田空港着20:25着
解散


高崎組の5人は新幹線の始発で、加治は高崎線の籠原始発で、羽田空港に向かいました。
集合時刻より1時間早い7時に羽田空港第2ビルに着いた私は、先に保安検査場を通過し、エアポートラウンジでくつろぎ、みんなが到着するのを待ちました。
飛行機に乗るのは何年かぶりでしたが、便利になったね。
ANAのSKIPというサービスで、予約番号を登録しておけばマイレージカードをかざすだけで搭乗できるなんて。
飛行機は順調に出発・飛行し、定刻よりも早く長崎空港に到着。

すぐにバジェットレンタカーの営業所に行き、8人乗りのノアにゆったりと6人で乗って、島原半島に向かいました。

運転手は、阿部ちゃん。
他に、予備の運転手として綿貫、毛利、小澤が登録。
私と秋山は、最初から運転する気なし。

最初の目的地は、昼食を採るための小浜温泉。
長崎といえば長崎ちゃんぽんですが、小浜温泉には小浜ちゃんぽんというのがあるというので。
ガイドブックやスマートフォン検索の食べログを使って、蛇の目というお店に到着。
しかし団体客で満員とのことで、第2候補の、よしちょうに行きました。

毛利、小澤、加治の3人と、阿部、綿貫、秋山の3人が二つのテーブルに分かれて着席。

こちらのテーブルが注文したのは、炙りシメ鯖と生ビールに、小浜ちゃんぽんの単品。
あちらのテーブルでは、アルコールなしの食事だったようです。

昼食後は、近くのお土産店を見たり、小浜温泉のほっとふっと105という足湯を見たり。
源泉の温度が105度もあるというので、足湯の名前に105と付いているんだそうです。

初日の目的地は、南島原市西有家町の、伊崎さんの実家。
小浜温泉からは、雲仙を経由して島原半島の反対側なので、雲仙地獄に立ち寄りました。

雲仙地獄には、雀の鳴き声のようにピチピチと音を立てて泡が出ている雀地獄というところもあり、いかにも熱そう。

熊谷や高崎の暑さとは違いますが、雲仙も十分に暑い。

熱中症にならないうちに車に戻り、伊崎家を目指しました。
伊崎家では、顔なじみとなったお兄さん、弟さんのほかに、お母さんやご家族が出迎えてくれました。
新盆の準備が行われている仏壇に線香をあげ、しばらく話をしたあとにお墓へ。

伊崎家のお墓は、今年の2月にお兄さんが新しいものを建立し、きれいな、立派なお墓でした。
周りの木々では、たくさんの蝉が賑やかに鳴いていました。
暑さや蝉の泣き方が、昔の熊谷や高崎みたいだねと、秋山と雑談。

お墓から一旦、伊崎家に戻って涼んだあと、宿泊予定の島原温泉に向かいました。
途中、伊崎兄が話してくれた、土石流被災家屋保存公園に立ち寄り。

雲仙普賢岳の噴火から、もう20年が経ちますが、風雨にさらされないように保存された家屋は、当時の被害の凄さを語ってくれます。

◆溶岩が流れた痕に草は生い茂って薄緑色となっていますが、
◆20年経った今でも木は生えていない状態が麓からもわかります。


宿泊する九十九ホテルに到着し、オーシャンビューの温泉で汗を流したあと、オーシャンビューの宴会場で夕食。


日の入りの時刻は19時半頃で、空の色や海の色が変わっていくのを眺めながら、豪華な夕食をいただきました。
島原市長からのおくりもの、という箱にはふぐの料理も。


夕食のあとには、さらに部屋での宴会も行い、焼きあごや芋焼酎を楽しみました。


ツアーの二日目は、島原市内観光でスタート。
まずは、島原城に行きました。

お城の入口では、忍者の姿をした男女が記念写真を勧めてくれ、みんなで揃って記念撮影。

次に、島原城の近くにある武家屋敷を散策。

水路をはさんだ道の両脇に古い町並みが並んでおり、中まで入れるように開放された武家屋敷も。

水路の水は冷たく、タオルを水に濡らして腕や顔を拭うと気持ちよかった。


この日の宿泊地である長崎に向かう道は、諫早湾干拓堤防道路を選択。


堤防の内側と外側で水の色が違うのを確認し、昼食を採るために諫早市内に向かいました。

選んだのは、うなぎ割烹の北御門。
楽焼の器に盛りつけられて出てくるうなぎ蒲焼や骨せんべいを肴に、毛利、小澤、秋山、加治の4人は生ビール、阿部、綿貫の2人はノンアルコールビールで乾杯。

午前中限定で毛利が運転したりしていましたが、昼食後の運転手は車が大好きな阿部ちゃんです。
高速道路を通って長崎へ。
長崎では、まずは市街地の北部にある原爆関連の施設を見学。


長崎原爆資料館では、全員が音声ガイドの機器を借りて、じっくりと時間をかけて見学しました。
改めてこの目で被爆した資料類を見て、悲惨さがよくわかりました。

夕方になり、宿泊予定のアパホテル長崎駅南へ。
チェックイン後、徒歩で長崎の繁華街に出かけました。

まずは、お土産のカステラを買いに福砂屋の本店へ。


近くには、史跡料亭花月というところもあり、記念撮影したり。


そして向かったのは、美味しい魚料理を食べさせてくれそうな、多ら福亜沙。


狙っていた鯖の刺身は入荷していませんでしたが、鯨やうちわ海老等の海の幸や長崎の地酒を堪能し、すっかり良い調子。

ホテルへの帰り道は、タクシーで稲佐山に登って夜景を見ようと提案し、2台のタクシーに分乗して稲佐山展望台へ。

見に行ってよかったと思える、素晴らしい夜景でした。
タクシーの運転手さんが、帰りに福山雅治の実家に案内してくれるとのことで、狭い路地に車を止めて表札を確認したり。

ホテルに戻ってさらに宴会は続き、終了は何時だったかあまり記憶がありません。


翌朝、綿貫が財布を無くしたと。
稲佐山展望台の駐車場を出るときには財布を取り出していたので、タクシーの中に忘れたかとタクシー会社に電話するも、空振り。
ホテル近くの交番に聞くと稲佐山警察に届いているとのこと。
拾ってくれたのは、福山雅治の実家前にあるパーマ屋さんでした。
無事に財布も見つかり、安心して市内観光へ。

最初に目指したのは、日本二十六聖人殉教地。


日本二十六聖人記念館の中には、聖歌の昔の楽譜も展示されていましたが、音の高さは分かっても歌詞は読めず、音の長さも分からず、何の曲だかわかりませんでした。
◆日本二十六聖人記念堂は記念館と道を挟んでとなりにありました。見学コースが無いようなので、外で記念撮影

次に向かったのは、グラバー園。


高台にあるので、長崎港や市内を望む景色がきれい。
快晴の暑い日でしたが、風も心地よかった。
◆園内には長崎を舞台にした歌劇「蝶々夫人」の作曲者プッチーニと蝶々夫人を演じた三浦環の像が。


そして次の楽しみは、昼食。
出島ワーフに行き、お店を探しました。
釣り堀海鮮市場「長崎港」というお店で、ヤリイカの活き造りや地魚の刺身で乾杯。五島うどんのちゃんぽん等でお腹を満たしました。

長崎での最後の観光は、近くの出島へ。



ここでも時間をかけてじっくりと長崎の歴史に触れ、16時過ぎに長崎空港へ向かいました。

運転手の阿部ちゃん、何を思ったか大村インターで降りそびれ、次の東彼杵インターで降りて再度、長崎自動車道に乗り直し。
◆この時、カーナビのルート検索がめちゃめちゃになって、佐賀方面へ案内していました。うかつにもカーナビの案内どおりに乗ってしまい再び佐賀方面へ。
◆次の嬉野インターを降りてから、キチンと止まってルート設定をやり直してから高速に乗り、今度こそは大村インターへ。
無事にバジェットレンタカーの営業所に到着し、空港にも時間の余裕を持って送り届けてもらい、最後のお土産ショッピングを楽しんでから帰京の便に搭乗しました。

3日間とも天候に恵まれ、雨に降られることは全くなし。
翌8月1日には、台風が二つ日本に接近し、九州の航空便は欠航が多かったことを考えると、とても運が良かったと言えます。
充実した夏休み前半戦を過ごすことができました。
夏休みの後半戦は、ロンドンオリンピック三昧かな。